こっちはすっかり更新ご無沙汰だけれども、私家版 rpm を復活させなきゃ…とか、concrete5をいじらなきゃ…とか、玄箱も直さなきゃ…とか、Linux で DTM にも手を出してみたいとかとか、いろいろ思ってはいるのだけれども、実は最近当方すっかり Linux を触らなくなっているのである。
おシゴトでは .Net Framework で Windows アプリを書くことが多いのと、自宅でも iPhone をいじるには Linux からでは現状無理とかあるもんで、すっかり Windows なヒトなのであった。
しかしまあ、たまには更新しなきゃということで、1ヶ月ぐらい前のハナシを引っ張り出してみる。
発端となった記事はコレ→『「GPLはもう要らない」、OSSの伝道師が異説』
エリック・S・レイモンド氏 (ESR) が、「GPL のような制限の強いライセンスは不要である。なぜなら、制限の緩いライセンスを適用したとしても、所詮市場はオープンなものを求めるのであって、派生物を勝手にクローズドにしたとしてもそれは淘汰されるのだから」という主旨の発言のようである。
で、これについて、twitter で生越昌己さんと非常にためになるやりとりをさせていただいた。
twitter はふとしたきっかけでこういう有名人とお話できるのがまたおもしろい。
つまりこんな感じ。
以下、町田による意訳。
曰く、途上国など、「ソフトウェアの価値」が確立されていない世界では、ESR の言っていることはファンタジーにすぎないと。
「ソフトウェアの価値」が認められておらず、対価を払うことが一般化されていない世界では、それはコピーされることが当たり前なのであって、そういうところで「オープンであること」は、ソフトウェアの価値を無にすることを加速させてしまう。だから、GPL のような制限のキツいライセンスはやっぱり必要なんだと。
これはつまり、Microsoft が市場を確立していない世界では、FLOSS など意味がないと。
思い起こすと、かつては日本や米国でも、ユーザーはメーカーでっかいホストコンピューターを買った。そうすると、オマケとしてソイツを動かすための SE やプログラマーがおまけでくっついて来たのである。
で、そういう状況の中、どんなホストでもオレの作った BASIC で同じように動くんだゼ!だからオレの作った BASIC を買いなさい!と、ソフトウェアで商売をはじめたのが Microsoft なのである。
これについては、実際には世の中に発売されなかったホスト用に BASIC を作った!と嘘っぱちならべてまで売り込んだビル・ゲイツさんの素晴らしい逸話があったりするのだが、それはまた別の機会で… (^-^;)。
つまり、少なくとも見かけ上は、あくまでハードウェアにのみ対価が支払われており、ニンゲンサマはおまけだった時代に、ソフトウェアに対価を要求することで、ソフトウェアに価値を発生させたのが Microsoft なのである。
ソフトウェアに価値があるからこそ、FLOSS もなりたつのであると。
つまり、「Microsoft 的なこと」と FLOSS は、実は相反するモノではないのかもしらんと。
ちょっと目から鱗が落ちました。
ところで、この大不況前の ITC 業界は、アウトソースというか、受託開発が中心となり、開発案件が発生するとそこに技術者が集結し、作業をして、それが終わればまた各地に散っていくという感じで行われていたのである。
これ、ソフトウェアに対価は払われるけれど、やっぱりヒトはオマケなんですな。
このネタは FLOSS 関係ではないので、ITC関係blog の方で気が向いたらぼやくカモしんない。
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