インターネットショウはもう終わりだ!?


いや、当方がそう思っているとかではなくて、RCサクセションの「Rock’n Roll Showはもう終わりだ」という曲タイトルとかけてみただけなんだけどね。

ITメディアにこういう記事が出てた。
日本のWebは「残念」 梅田望夫さんに聞く(前編)

この梅田氏という方は、『ウェブ進化論』という本を書かれた方で、この本は日本での Web 2.0 ムーブメントのきっかけの1つとなったと言われるものでありますな。

しかし、いまや日本の Web にはあまし期待しておられないと。詳しいハナシはリンク先を読んでいただくとして、気になった箇所を以下に引用。

――日本のSNSは、人生に必要なインフラになっていない、という意味でしょうか。

なってないんじゃないんですか? 職を探すとか……。人生のインフラ、学習、生計を立てる、キャリアを構築する、みたいな。

――上に上がるためのインフラにはなっていない、と。

上に上がるため、自分を高めていくため、という流れがあるかというと、部分的にはあるかもしれないけれど、比較論で言えば英語圏と日本語圏とずいぶん違うと思いますけどね。

確かに日本の mixi やはてな(梅田氏ははてなの取締役でもある)と、米国の MySpace や Facebook は明らかに違う空気感があって、それははたしてなんなのだろう?お国柄とか国民性なのかしら?と前々から思っていたのではあるが。

先日「ぺちゃくちゃないとNAGANO」というイベントを観覧してきたのだが、ここにぺちゃくちゃないと創始者である Astrid Clein氏と Mark Dytham氏がスペシャルゲストとしてご出演されて、ミニトークショーも行われたのであるが、ここで非常に気になることをおっしゃられていた。

mixi や facebook のつながりがホントのつながりですか?私たちはノットソーシャルネットワーキング!

つまり、ネット上の仮想的なつながりではなく、こういうイベントによってもたらされる現実的なつながりが大事であると。

最近、インターネットについて雑談なりおシゴトなりでハナシをするとき必ずこういう話題になるのだけれども、なんとなく違和感を感じるんだよね、ワシは。

Astrid Clein氏と Mark Dytham氏は英語圏で育った方々ながら、現在日本に在住されているというのもなんかいろんな意味で象徴的なのかもしれない。

ところで、小説を書いたり映画を作ったり、ドキュメンタリーではない、「ものがたり」を作っている方々は、その虚構が現実とはまったくなんの関係もない、切り離された単なる絵空事として作られているのだろうか?

たぶんそんなことはなくて、自分の作る虚構が現実に対してなんらかの影響を与えるものでありたいと思っているのではないだろうか?
それはたぶん「物語原型」である神話からしてそうなんだろうと思う。

たぶん、現実と虚構は地続きなんだと当方は思うのである。

いや、そうは言うが、現実と虚構の区別がつかなくなった未成年の残虐な犯罪が増えていることをどう思うんだアンタ!?というツッコミが入りそうだが、当方は、そういった事象は「現実と虚構の区別がつかない」から起きているのではないと思う。

これについては作家京極夏彦氏が対談集『妖怪大談義』の中で、やはり作家の宮部みゆき氏との対談で非常に興味深い説を述べられているが、本題と大きくずれるのでまた別の機会で。

ひとことだけいうと、欠如しているのは「現実認識能力」ではなく、「感情移入能力」なのではないかと思う。「ものがたり」が感情移入するものではなく、単なる「情報」になってしまったことに原因があるのではないかと。まあ本題じゃないからこのヘンで。

当方は twitter で、ひょっとしたことで生越昌己氏やmoongift氏と非常に興味深い議論をさせていただいたり、仮想呑み会で松村太郎氏と冗談を言い合ったりという稀有な体験をさせていただいたのであるが、これが「たいして大事ではないこと」だとは思えない。

もちろん、有名人だけではなく、顔も本名も知らない方と非常におもしろい話をさせていただくことも多い。会話だけでなく、なんとなく「帰宅した」と書くと、それこそ見ず知らずの方が「おつかれー」などと書いてくださることもある。これだって、独り暮らしの方(当方は違うけど)にとっては、とっても嬉しいことなんじゃないかと思う。

iPhone のようなスマートフォンの登場によって、いや、もちろん従来の携帯でもそうされている方は少なからずいるんだけれども、ソーシャルネットワークは「ウチに篭ってごにょごにょする」ものというよりは、むしろ「外に出て使う」ものに大きくシフトチェンジしているのだなあという実感もある。

たぶん、少しずつ、日本のインターネットコミュニティも、英語圏のソレに近いものになっていってるんじゃないかと思う。

それよりなにより、「仮想的なものが現実より大事ではない」なんて、つまらないじゃないかと思う。
どっちだって、おもしろいものであるべきだと。

さて、このハナシはこれで終わりではなく、これと正反対に「ネットを経たリアルなつながり」について非常に興味深い体験を本日したのであるけれども、これについては次の記事に続く。


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