解答なき現実に手戻りを許す技術を


ドナルド・C・ゴース、ジェラルド・M・ワインバーグによる「ライト、ついてますか―問題発見の人間学」は、僕にとっては座右の書である。カリスマ的システムコンサルタントによって問題発見について書かれた本であり、非常にざっくりと説明すると「問題は答えを見つけるのではなく、問題は何なのか、その問題はどこからきたのかをまず考えろ」ということをシニカルな皮肉満載で言っている本である。

我々は問題が発生したときに、問題を解決すること、問題に対する解答を出すことを急いでしまうよう学校で教育されているが故に、その問題の本質を見失ってしまうことがある。本来コンサルタント、プログラマ、SE (ちなみに階級はSEがいちばん下である 🙂 は問題を多面的にみる必要があるのだが、残念ながらここ10年程度、同業の中でこのように考える人はめっきり減ってしまったというのが正直な感想である。

ただしこの本は工程がウォーターフォールで行われる前提になっている。問題の本質を先に見つけることが肝要だ。そりゃそうだろう。しかしカリスマコンサルタント2人がかりで1冊の本になってしまうぐらいなので、簡単なことではないのは当然だ。

実は、問題が発生したとき、それはそもそもなんのためにやろうとしているのか (問題はどこからきたのか?) というところにいったん遡って、もういちど問題はなんだったのか考えると簡単に解決方法は見つかるのである。
そしてこれは実はコンピュータ業界だけの話ではない。例えば最近流行りの地域活性化におきかえてみよう。

ひなびた温泉街でキャンペーンイベントを行うことになったとする。運営には予算含めさまざまな問題が発生する。しかし、まずそのイベントはなんのために行うのか?と考えてみる。
単純なことで、減ってしまった観光客を呼び戻し、各施設の収益を増やすことである。
では、観光客を増やし、収益を増やすためにはなにをするべきか?
もしかしたら田舎ゆえに接客がよくなかったのかもしれない。もしかしたら田舎ゆえに街全体の清潔感が不足していのかもしれない。鉄道の駅や高速道路のICからの誘導、導線が良くないのかもしれない。
だとしたら、予算を使ったり無理に商売敵どおしで喧嘩しながらイベントなぞ行うことは無意味で、まずは基本サービスの向上が必要なのかもしれない。

※どこか特定の温泉街を想定して書いているわけではないので、念のため…

いったん問題の発生源に遡って、問題に降りてきたら、実は全然違う問題になってしまった。という典型例である。

ところが、大抵の場合は「既にやることは決まっているのに後から否定的なことを言うのは良くない」「やることは決まっているのだから協力するべきだ」「協力する気がないのなら黙っていれば良い」などと、間違ったポジティブ指向がなされるのではないだろうか。

ソフトウェア開発ではウォーターフォール工程に対してアジャイル開発という手法が提唱されている。これも理屈的にはいろいろとあるが、はやい話「手戻りを許すための方法論」を教科書化したもの、と僕は理解している。

どうも最近「ワンストップサービス」という言葉もきく。これは何度も打ち合わせでごちゃごちゃするのではなく、1回だけ打ち合わせしてあとはバシっとサービスを提供する..ということのようだが、これって実は成功しない可能性が常についてまわるし、自分が発注側だったら1発で最初からイメージができてるわけがないし、自分の専門外ならなおのことそうだと思う。

はやめに方向性が見えるようにしてもらって、はやめに方向を修正するということを何度も行って、最終的に納得いく形にしたいと思うのではないだろうか。

つまり「手戻りを許す」ということなのである。

これはビジネスや地域振興だけのはなしではなく、昨今IT勉強会から続く「勉強会」ブームであるが、そのようなコミュニティ活動においてもいえることだと思う。

果たして「手戻りを許す」寛容さをもっているだろうか。1度出席した人が2度目以降来ないのはなぜなのか考えたことがあるだろうか?

それができなければ、もちろん、理由はそれだけではないのだが、そろそろ勉強会ブームの崩壊がはじまる…というのは、言い過ぎだろうか?

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