時を超えて~ロボットが責任を問われる時代がやってくる?


まずはこちらの記事。

自動走行車の事故は誰が賠償責任を負うのか – WSJ.com

米アリゾナ州議会は昨年、自動走行車の走行ガイドラインを規定する法案を審議していたとき、ある問題にぶち当たった。それは、運転者のいない自動車が衝突した場合、誰が賠償責任を負うのかである。

技術が発達していよいよ「ロボット」といえるようなものが実際に社会で使われるような世の中になってきた。そういう「道具」がなんらかの問題を起こしたときにその責任の所在はどこに問うのか?ということであり、利用者以上に開発者にとってナーバスな問題であり、これの持って行き方によっては技術の発展そのものを阻害しかねないかもしれない。

この記事を教えてくれたのは、Facebook で最近縁が復活したけれども、居住地がかなり離れているのでなかなか再開の機会はなさそうな高校時代の同級生である。

彼曰く、おいらが高校卒業時に卒業研究に書いた文章を思い出したとのことである。

さてなにを書いたか。

僕らが通っていたのは工業高校の情報技術科だったのだが、当時僕は重度の中二病を患っており、ロクにガッコに行かない上にやることも指導される内容を勝手に逸脱して自分で課題を設定して勝手にベンキョウしておるいやなガキであった。

で、当時「ファジィ理論」というものがもてはやされており、炊飯器から洗濯機からいろんな家電製品にそれが導入されていた時代である。

たまたま『Cで学ぶAI』という本を書店でみつけた (もちろん絶版だが、今も手元にある)。これはその当時の「AI」つまり人工知能的なものの研究について広く浅く、C言語によるサンプルコードを交えて解説している本であった。

余談だけれども、最近こういう「実用には遠いけれども基礎理論を実コードを交えて解説する」タイプの本をほとんどみかけなくて寂しい気がする。この手のおもしろい本をご存知の方教えて。

でまあこれに影響されて、ちょこっとエキスパート・システムによる駅の乗り換え案内プログラムみたいなのを作ってみたのである。ただし実用にするには膨大な時刻表データが必要で、その保持と検索の仕組みが必要だということがすぐにわかり、そのスキルはなかったので、卒業研究の結論はこの実装内容を書いたところでたいして意味はないというか、「おもしろくない」ということになった。

ちなみにその数年後、現在では当たり前にスマホなどからも利用している『駅すぱあと』や『乗換案内』のパソコン版が商品化されたわけで、クソガキのくせになかなかいいところに目をつけていたのカモしれない。てめーで言うなてめーで。

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同書で僕の興味をいちばんひいたのは自然言語処理解説のところで触れられていた『ELIZA』という会話システムだった。心理療法者として患者と会話をすることで、実際に治療効果を上げているプログラムだということだ。

しかし、その実装は実は心理療法ドクターのパロディである。例えばこんなカンジ。

患者「こんにちは」
ELIZA「こんにちは」
患者「今日はいい天気ですね」

実は患者の問いかけに対してオウム返しで同じことを答えているのである。患者はそうとは知らずに次のコトバを発する。上でいえば「今日はいい天気ですね」だ。これにより、ELIZA は「こんにちは」の次に「今日はいい天気ですね」といえば会話が続くことを学習し、次に別の患者に「こんにちは」と言われたら「今日はいい天気ですね」と返すようになる。

このように学習して、いかにも会話をしているように見せかけているプログラムである。

これも、当時ホビープログラムで「人工無能」というさらなるパロディとしてフリーウェア等でたくさん作られるようになった。

これ、今では Wikipedia で関連付けてそれなりに体系的に解説されているけれども、当時この2つが関係あるとはなかなか気が付かなかったもんだけどねってオレだけかそれ?

で、ここでガキながらに思ったのが、例えば鉄腕アトムやドラえもんのような、物語に出てくる「心を持つ」AI のロボットというのは現実に可能なのだろうか?ということである。

当時、ユングなんかにもほんのちょっとだけ興味を持っていた僕はこう考えた。「実際に心をもっているかどうかは大して問題ではない。それに対したヒトが、それが心を持っていると認識した場合、例えそれが誤解であっても心を持っているとみなすことは可能なのではないか。つまり、結局は感情移入の問題だ」と。

なんかもうアニミズムのハナシであってユング全然関係ねーけど(苦笑)、実はこのときそう思ったことは、いろんな意味で、それこそ宗教観も含めて、今の自分のあらゆる思考のベースになっているのは事実だったりする。当時はオカルトブームでもあったしね。

で、その研究録には以下のようなことを書いた。

ある日アトム君友達と喧嘩して殺してしまいました。責任は育ての親か、開発者か

いやはや読み返してみたらまったくヒドイ重症の中二病患者の文章であり、しかも当時ワープロ的なものを所有してないのでヒドく汚い手書き文字であり、教師の皆様もよくこんなので  OK 出したなと思うけれども、思い返せば「もうアンタは勝手にしなさい」状態だったのでどうでもいいんだな(苦笑。ほんの一部抜粋しただけでコレですから、全体などはとても読めたものじゃありやせん。

まあでも、さすがに不惑となるとそれなりに羞恥心もあるのでここまでロコツなことは書かないけれども、今でもまったく同じことを考えていたりするバカヤロウぶりであることは自負するところである。

そして冒頭のニュースを見ると、いよいよ本当にそういうことが問題になる時代がやってきたのだなあと思うのであった。

いやはや、中二病というのはなかなか完治しないヤマイのようで….

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