日本のオープンソースコミニュニティが学ばなければいけないこと

まあ現状当サイトにはあんまし役に立つコンテンツがないのと、旧サイトからそれでもある程度ニッチな需要はあるんでないかというコンテンツも移行できていない現状でこんな偉そうなことをブってはイカンのであろうとは思うのだけれどもネ。

このクニでは、とあるオープンソースコミニュティが最悪の形で決裂してしまった前例があるのに、それをうまく教訓にできていないのではないかと、僕はあまちゃんながら常々思っているワケです。

例えば GPL (GNU General Public License) というオープンソースライセンスがありますね。これは、良くも悪くもそもそもコードを書いたヒトの著作者の権利を未来永劫伝染病的に守るというような、ある程度社会主義的なライセンスとして世間的には認識されていると思います。

GPL ライセンスなとあるアプリケーションがあったとしましょう。
それを機能強化するようなパッチを誰かが書いたとしましょう。

もちろん GPL の基本概念にのっとると、そのパッチのライセンスも GPL となるワケだ。
GPL はオオモトのアプリケーションを書いたヒトの権利を守り、自由な配布権利を守るものであるからして、そのパッチなりインストールパッケージソースを書いたヒトの権利も等しく守られるハズのものだ。

んがしかし、実際には「ネット上で発言力の強いヒト」によってその権利は上書きされてしまうのである。
名もなきオイラが書いたパッチなり rpm の spec なりは、その ChangeLog を消した上である程度ネームバリューのあるディストリビューションに収録されれば、そのディストリビューターの成果物となるのである。

そーーーんなヤツがサ、オープンソースコミュニティーでやってけるワケないじゃん?自浄作用が働くでしょーに?
と、オレも正直そう思ってたんだけんどもね。

でも、実際は違いました。
どこのドイツというのはこの際控えますが、特に国内のある程度カリスマ的人気のあるディストロコミニュティが特にヒドい。そのコミニュティの元代表がニギったパッケージからして平気でおいらのクレジット消してくださるんだもの。

なんだか、そんなコトにメクジラたてたくねーよとも思うし、だからといっておもしろくないのもまた事実でね。

「身内に優しく、他人にキビしく」というのは、ニポン的親分の頼もしい素養であるということは私も大賛成なのですが、だからといって自分が所属しているコミニュティ外のヒトの成果を無視する姿勢というのはまっっっっっったく賛同いたしかねるワケなんだけんども、mixi のような閉鎖的 SNS が爆発的にヒットしてしまうようなこの鎖国されたクニではいたしかたないのカモしれないとも思ったり思わなかったり。

まぁ、かのコミュニティがかつてのカリスマ的人気に比べると、あまりに閑古鳥が鳴くにもホドがあるぜ!的な状態になってしまったのは、実はそんな過剰な身内意識に由来するのではないかと思うのですが。

正直、今現在僕は私家版 rpm を復活させるのことにあんまし気乗りしないのが上記理由からだったりするのです。
なんだかんだいってさぁ。
「オープンソース」なんつーなんだか自由気なコトノハもさ。
なんだかんだいって、声のでかいヤツのカネ儲けの道具に過ぎなくなっちゃったんじゃないの?

株屋のカネ儲けのキーワードに成り下がったんじゃない?こんなモノ。
だったら、そんなモノいらねーや、オレ。

カネ儲けがすべてな某米国はこの際ほっておくとして。
このクニもその程度のくだらん概念に支配されてしまったのはいつからなんだろう?

イマドキ「オープンソース」などという手垢のつきまくったキーワードをウリにしようとするヤツにゃあ気をつけましょう。どうせそんなヤツは金儲けのキーワードぐらいにしか思っていないに違いないから。

次に危ないキーワードは「車輪の再発明はしない」だねきっと。
こういう楽しくて正しいコトバを、単なるマネーゲームの道具になり下げてしまうのは、きっと僕等の責任でもあるのであろうけれども。

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